いま、世界では何が!? 【第4回】天皇陛下の「生前退位」

2016年10月4日更新

 宮内庁は8日午後3時、天皇の位を皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を周囲に示していた天皇陛下が「象徴としてのお務め」についてのお気持ちを示したビデオメッセージを公表した。陛下は自身の衰えが進むなかで「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないか」と懸念を表明。憲法上の立場から直接的な表現は避けながらも、将来的な退位の意向を強くにじませる内容となった。
 また、天皇に代わり皇太子さまが国事行為を行う「摂政」については「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」と否定的な考えが示された。
 お気持ちは7日夕、お住まいの皇居・御所で収録された。8日午後、宮内庁のホームページに掲載される。天皇陛下がビデオメッセージを公表するのは、東日本大震災後の2011年3月以来、2回目。
 現状では天皇に退位は認められていない。政府は陛下のお気持ち表明を受け、内閣官房に置く皇室典範改正準備室を中心に、生前退位を含め、対応について議論を進める方向だ。(島康彦、多田晃子)(朝日新聞デジタル 2016年8月8日15時00分)

島村:生前退位に関しての天皇陛下のお気持ちの表明に関して、みなさんどんな感想をもちましたか?

受講者A:すごい勇気がいることだったんだろうなあと思いました。よほど考えてのことだなと言う気がしました。

受講者B:天皇は、政治的な意見、自分の意見を言ってはいけないというのが前提だから、ギリギリの所を縫っておっしゃったのかなと思いました。ずいぶん考えてのことだろうし、自分が幼い時に第二次世界大戦を経験しているから、その時にいろいろ見ていて、これは絶対にそうしなければいけないという意思があったように感じました。

受講者C:「象徴」という言葉がすごく印象的で、それを強調しているような気がしました。

:摂政とかじゃなくて、あくまでも生前退位にこだわっておられるんだろうなと思いました。

受講者D:前の昭和天皇は途中から「象徴」という存在になりましたが、最初から「象徴」という存在としての天皇は初めてだったから、自分はどういう風にあれば良いのかということを、本当によく考えられたんだろうなと思いました。「国民に添った」、「国民に心を寄せていく」ということをよく言ってらっしゃって、だから慰霊の旅に国内外に出かけられたり、被災地にもあれだけ精力的に行ってらっしゃるけれども、それができなくなるかもしれないということで生まれた気持ちなんだろうなと思いました。元気でさえあれば、やるというおつもりなんでしょうけれども、できなくなったからなのかなと感じました。

:自分の死後のこともたぶん考えていらっしゃるんじゃないでしょうか。突然亡くなりでもしたら、きっと国は混乱するでしょうし。それにしても、宮内庁が発表するよりも先にNHKの報道が先走ったのはなぜでしょうか? そして、宮内庁は最初はそれを否定していたのはなぜなんだろうと疑問に思いました。

島村:それは、天皇自らがおっしゃる前は、否定せざるを得ないからでしょう。そんなことが一部報道機関に漏れたなんてことは、建前上はあってはならないんですよ。宮内庁も官僚機構ですから、言っていませんと言い続けるしかなかったんでしょう。

:どうしてあんなことが外部に漏れるのかが不思議ですね。

島村:いろいろな思惑があるのではないでしょうか。宮内庁の中にもさまざまな勢力があるだろうし、皇族の中にもそれぞれ意見があって、そういうことを斟酌してNHKの記者が意図的に「あうん」の呼吸で報道したということでは? そうしない限りは、お気持ちを表明する場を作ることができないということで。10年以上も前、小泉内閣の時代から、「自分はいつまで体力がもつかわからないから、退位のことを考えてもらいたい」というようなことはおっしゃっていたらしいんだけれども、全然取り上げてもらえない。そして今までの歴代政権も、国会も真剣に考えてこなかったということがあって、ジャーナリストが意図的にリークしたという可能性は否定できないですね。漏れてしまったからには、「お気持ちの表明」というところまで行かざるを得ない。相当な「やむにやまれぬ気持ち」、本当はああいう手段をとりたくはなかったけれども、最終的にはああいう形で国民にお気持ちを語るということにならざるを得なかったのではないでしょうか。だから、自民党の議員の中には、「大変申し訳ない、本当は自分たちが斟酌して気が付かなければならなかった。あそこまで自分の気持ちを言わせてしまった自分たちの責任を痛感する」と言っている議員もいるようです。
 天皇の国事行為としては、政治的な発言をしてはいけないということなんだけれども、表現が「声明」とか「見解」じゃなく、「お気持ち」になっているところが、極めて微妙な立場を示していますね。なぜ「お気持ち」という表現を使ったのでしょうか。そもそも「お気持ち」というのは情緒的な言葉ですね。翻訳も難しかったのではないかと思います。英語で言うと、「feeling」ですか? 日本語で「お気持ち」にしたというのは、あくまでも政治的な見解ではなく、自分の気持ちを述べられたということに、意味があると思います。よく「気持ちはよくわかります。でも…」という言い方をしますよね。そのように「気持ち」という言葉には微妙なニュアンスがあります。それにしても、自主的に述べられていることを考えると、意図は別として、かなり踏み込んだ発言をしておられるように思います。なぜなら、今の皇室典範を変えなければできない話だからです。摂政ではダメで、生前退位だとおっしゃっているのだから。「あくまでも自分の気持ちですよ、変えなければいけないと言っているわけではないけれども」と言いつつ、実質は皇室典範を変えて欲しいと言っていることになりますからね。

:皇室典範は、誰が変えようと言うことができるんですか?

島村:法律と同じです。憲法は国会が発議して国民が決める。つまり、衆議院の三分の二と参議院の三分の二が両方一致して発議をして、最終的に決めるのは国民。皇室典範は憲法と違って、他の法律と同じように国会で決めることになります。

:でも、今回はお気持ちなので、国会が変えないと決めれば、変えることはできないんですか? お気持ちに拘束力はないんですよね?

島村:そうです。逆に、拘束力があったら大変ですから。

:でも、だからといって、全く無視するというわけにもいかないんですよね?

島村:理論的にはそうです。結局世論が動いたので、内閣も動かざるを得ないでしょう。国会でどのように議論されるかはわからないですが。

受講者E:特例法で進めるというのがニュースになっていました。

島村:ただ、特例法で進めると言っても、皇室典範を全く改正しないというわけにはいかないんですよ。なぜなら、皇室典範には「退位」に関する条文がひとつもないので、一条付け加える必要があるんです。たとえば、「天皇は特別な場合においてのみ、生前退位することができる。詳細は法律によって定める」など入れる必要があります。というのも、憲法の第二条には「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあるからなんです。つまり皇位というのは、「皇室典範の定めるところによって継承する」。だから、天皇を辞めるのも、新しい天皇を決めることも、皇室典範に書いてないとだめということになります。今の皇室典範には、天皇は亡くなるまで天皇であって、「退位することができる」とは一言も書いてないから、細かいことを書く必要はないけれども、一条付け加える必要がある。そうしないと憲法二条に違反するということになりますからね。だから、特例法だけでは生前退位を可能にはできない。それは政府も分かっているはずです。一条付け加えて、実質のところは特例法でやりましょうという話でしょう。

:皇室典範だけを変えて、特例法を出さないということも可能なんですか?

島村:もちろんです。それはできます。絶対に特例法を作らなければならないということではありません。

:特例法を作ると他のことにも適用されそうだから止めて欲しいという意見もあるようです。一旦、変えられないはずの法律を変えられるんだったら、特例法という名のもとに、いろいろなことを変えられてしまうのではないか。そういう前例ができてしまうのはまずいから、できれば皇室典範を変えるだけにしてほしいという意見のようです。

島村:筋論から言えば、皇室典範で、退位はどういう場合にするかということを定める方がいいでしょう。でも、それをやっていると時間がかかってしまいます。実質問題として重要なのは、国民に向かってあれだけのお気持ちの表明があったにも関わらず、いつまでたっても道が開かれず、その前に今上天皇が崩御してしまうなんていう事態が起こらないようにすることです。4年後の東京オリンピックまでには基本的に退位をして、皇太子に譲りたいということなんじゃないかとも言われていますね。国際的には、今度のオリンピックは、皇太子が即位した形で開催したいという面があるだろうし、もう一つは、ご自分は55歳で即位した。今の皇太子の年齢はそれを上回っていて、東京オリンピックには60歳になります。はっきり言って、自分の進退もあるけれども、逆に皇太子が年老いていけばいくほど、大変だろうという父親としての思いもあるでしょうね。そういう諸々の時間との闘いという側面もあるんだろうから、いくらなんでも、3年も4年も伸ばすことはできないでしょう。そうなると、1、2年以内には何らかの形で道を拓かねばならないし、そうじゃないと世論も納得しません。現に91%の人が生前退位を認めるべきだと言っているし(朝日新聞世論調査9/13)、反対している人も少ないですからね。
 今回、お気持ちを聞いたときに、やっぱり今上天皇は本当に日本国憲法の精神を理解した、護憲の人なんだなということがよくわかりましたね。そして、非常に印象的だったのは、「個人として今から自分の気持ちを述べる」と、「個人として」という言葉を使われたことです。今上天皇は、日本国憲法に対するスタンスが即位したときから「遵守義務」、つまり、「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という、憲法を特に尊重擁護する義務があるということを、いつも表明していました。中でも重要なのは、即位して真っ先におっしゃったのが、「日本国憲法を尊重擁護し…」ということでした。その後も、何かあると必ずおっしゃっていましたが、これは一部の右派、日本国憲法に否定的な人たちからは批判を浴びていました。でも、日本国憲法の精神を具現化する「護憲の人」なので、「象徴天皇としてと」おっしゃるし、お気持ちを「個人として」述べたというのが非常に特徴的なんです。
 現在の日本国憲法の第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とっていますが、自民党の改憲草案では「個人」ではなく「人」になっています。しかし、「個人」と「人」では、ものすごく大きな違いですよ。そして、今上天皇が「個人」と言う言葉を使ったということが私は重要だと思います。十三条の「個人として」は国民のことで、天皇は一般の国民とは違うわけなんですが、自分も「人間として」、「個人として」ということをおっしゃっているのだと思います。自民党の改憲草案にも見られるように、改憲を進める人の中には、個人という概念が非常に希薄、嫌いな人たちが多いようです。彼らは、日本国憲法の制定によって、個人主義なるものがはびこるようになり、みな権利ばかりを主張して義務を果たさないような人が増えたとか、犯罪が増えているのも個人主義がはびこったからだとか、日本には、日本国憲法ができる前には、戦前の美しい共同体があって、家族の和とかそういうものがあって…などと平気で主張しています。そういう中で「個人として自分の気持ちを述べたい」とおっしゃったのは、重要なことだと思います。
 日本国憲法の第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。つまり、天皇の地位には「日本国の象徴」と「日本国民統合の象徴」というふたつの意味があるということです。それは実際にはどういうことをしなければいけないのか、ということを、即位したときから示されたのが今の天皇。まさに象徴天皇制のあり方を具現化したと言えます。「自分は常に国民の安寧と幸福を祈ってきた」そして、「常に国民のそばにあった」、あるいは、「地域の共同体の市井の人々の常にそばにあった」、「耳を傾けてきた」などとよくおっしゃっていますが、そういう言葉からは、まさに国民の支持なくしては象徴天皇制にはなり得ないんだということを自覚して、全身全霊でそれを務めてきたということが伝わってきたし、実際にそうだったと思います。
 そして、もうひとつ、社会学用語を使えば、天皇は「属性主義」ではなく「業績主義」なんだなということをつくづく思いました。先日テレビの討論番組で、明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏が「天皇というのは、何をやるかではなく、すべては血なんですよ」と言って他の人からの批判を浴びていました。「男系が正しい、女系は認めない」というのが彼の立場。それこそまさに「属性主義」、「帰属主義」ですね。それに対して、経済評論家の荻原博子さんが、「そうじゃないでしょ。今上天皇が尊敬を集めているのは、あれだけのことをやられていて、どんな時でも国民のことを考えている行動、姿勢じゃないですか」と言ったけれども、私もそれが正しいと思います。ああいう天皇じゃなかったら、あそこまで尊敬を集められなかったでしょう。「属性主義」というのは、要するに、人が何をするかではなく、身分とか年齢、性別とか、出身地域で人を分け、こっちが偉いとか、あっちはダメだとか言うことです。近代社会は、そういうものを否定してきました。その人が何者であるかではなく、何をするかによって判断するというのが業績主義。業績主義を信奉しているからこそ、自分はその業績を果たせなくなったときには、天皇ではいられないということだったんでしょう。

:この間、たまたま竹田恒泰さんの話を聞く機会があったのですが、彼はなぜ男系にこだわるかという理由をいくつか説明していたけれども、そのひとつに、もしこの人が良い人だからといって選んでいくと、その人は天皇に相応しいとか相応しくないという議論がおきてしまうから、血族主義にしてしまって、その人がならざるを得ないとしてしまった方が混乱が起きないと言っていました。その時はなるほど、理由としては一理あるなと思いましたが、たまたま今上天皇が人格者だったからいいけれども、もし今の天皇が人格的に尊敬できない人だったら、どうなっていたんだろうと思いました。

島村;そういう議論は出てくるかも知れませんね。でも、その話と男系か女系かという話は別ですよね。なんで男系じゃないといけないかという説明にはならない。血の論理だったら、男系か女系かということは関係ないでしょう。
 でも、男系でも女系でも別の血は入ってくるわけですよね。男系じゃないといけないというのは、男の血の方が血統として正しいとか、良いものだという発想があるからそうなるんです。女系であっても血は受け継がれているわけで、なぜ女系じゃだめかという説明にはならないのではないでしょうか。今までずっと男系だったから、日本はそういうものだというなら、まだ論理としては成り立つ。伝統なのでとか。世界中をみても王政とかいろいろなものがあるけれどもというなら成り立つけれども。この人が入ってくると安定しないという論理だったら、男系も女系も関係ないのではないでしょうか。
 万世一系と言うんだけれども、よく考えてみたら、次になる人がいなくて大変困って、十親等あたりから、「それでも皇族と言えるの?」というぐらいの遠縁から次の天皇を選んだこともあるし、側室を認めることもなしに、血統で成り立たせていくんだったら、男系女系の是非の問題は別として、必ず男系でいかなければならないということになると、天皇制は維持できるのかという問題がありますね。少子高齢化が皇族にも影響していて、今の皇位継承順で行くと、皇太子、秋篠宮、悠仁親王の三人で、特に、皇太子と秋篠宮は別として、次の代には悠仁親王しかいないとなると、どうやって維持していくのかという問題になります。退位を認めるか認めないかとはまた別に、女系を認めるか認めないかとか、女性宮家を作るというのも、切実な問題となってくるのではないでしょうか。だから、皇室典範を変えるとなると、そういうことまで議論しなければならなくなるので、時間がかかると言う人もいますね。そういう危機感から野田内閣の時、女性宮家を作るという方針が出ました。一方で、竹田恒泰氏は、70年も前に皇族を離れた、昔皇族だった人をもう一回皇族して、その中から選べば良いと言っていましたが、それも血の論理なんですね。

:そもそも論なんですけれども、日本には皇室は必要なんでしょうか? 周囲にはなくてもいいと言う人もいて、そういう意見も耳に入ってくるんです。みんなあって当然と思っていますが、国民の中にはいらないと思っている人もいるのではないかと思いました。

島村:そういう議論もあるでしょうね。ちなみに、世論調査では、象徴天皇制を支持しているのは9割近いです。要らないというのは1割いるかいないか。

:このような皇室の問題が、いろいろな問題にすり替わっていくのがよくない、問題を大きくする一つの原因が、皇室だという意見もあります。こういったことが起きるのも、天皇制があるからだから、なくしてしまえばいいという意見を聞いたことがあります。

島村:世界的に見て、天皇や王族というものがない国は、大統領制を引いているケースが多いですね。日本で大統領制のようなものが、どれぐらい合致するのか、共和制になったらどうなるんでしょう? 今の皇室のしくみで、やることは憲法で定められた国事行為に限定されるなら、象徴天皇制の方が遙かにマシだと私は思います。

:このまま同じように次の世代に引き継がれるとは限りませんよね。伝統って重要なんだろうなとは思いますが、天皇は結婚したくないのに、結婚させられてしまったり、辛い状況が起きますよね。やめたくてもやめられないし。

島村:天皇も人間であるということを考えれば、人権を奪っていることになりますね。職業選択の自由や、居住の自由もない。今まで民間人であった人間も、皇族になると雅子さまのように人権を制限されますしね。

:私が若い頃は、学生運動などが盛んで、その時は天皇制を否定する意見がずいぶん出ていました。でも、それは昭和天皇の時代だったので、今とはだいぶ違いますが。

島村:昭和天皇の時は、やっぱり戦争責任の問題があって、その天皇がそのまま責任を取らずに在位しているのはどうなんだという議論がありましたね、

:だから今よりもずっと否定するという感覚が強かったです。

島村:今の天皇になって初めて、戦争責任とかいうことではなく、平和の象徴天皇になって、日本国憲法の平和主義を体現化し、沖縄に行ったり、原爆の日には広島・長崎に行ったり、近年は近隣諸国に慰霊に行って必ず「過去の克服」に言及されていますね。

:私自身も、若い時は、天皇に対して斜に構えて見ているところがありました。戦争責任ということが引っかかっていて、天皇制反対という意見に対しても、ある意味納得できました。でも、今の天皇のされていることを見ていく中で、私の中で少しずつ、その辺の考え方が変わってきているのを感じます。

島村:今上天皇の、ご人徳というか、行動によるものでしょうね。そうじゃないと、象徴天皇制はなりたっていかないというのを自覚されていたのでしょう。

:次の天皇にもそのまま引き継いでいって欲しいという気持ちがあります。

島村:この間、表明された「お気持ち」の中にはありましたね。このまま引き継いでいくためには、なるべく早い段階できちんと皇太子に今の形で象徴天皇制を引き継ぎたい。そういうお気持ちがあったのではないでしょうか。ちなみに、民主主義ということを考えると、たとえば、スペインの独裁制の終わりの時期に、スペインの民主化で重要な役割を果たしたのは、スペイン国王だったんですよ。独裁を終わらせたのは国王です。だから、王室=反民主主義とはならず、逆に王室があることによって、民主化が進むこともあります。特に立憲主義の見地から言えば、今の内閣がどうも立憲主義を空洞化させようとしているような昨今、立憲主義の支えになっているのは皇室だという印象がありますね。天皇の言葉の端々に、それを感じます。

:特に戦後の皇室は、存在自体が戦争と隣り合わせと言うんじゃないけれども、常に思い出してしまうということがありました。戦争があったからこそ、象徴天皇という特殊な地位が生まれたというのもありますが、半分は戦争の抑止みたいな、二度と天皇を神様みたいにして戦争はしないみたいな意識でしょうか。天皇もそれを望んでいらっしゃらないだろうし、存在すらなくなると、また元に戻ってしまう危険性も逆にあるのではないかと思います。そういう押さえがないところに独裁者が現れたら、そこに突き進んでしまうような危険性を感じます。

島村:そうですね。だから、共和制は、そういう独裁者が生まれやすいんです。ドイツだってワイマール共和国になったから、ヒットラーという独裁者が現れた。自分は皇帝を復活させようなんて思っていない。自分は単純にドイツ帝国を復活させようと思っているわけじゃないんだと言いながら独裁者になったんです。

:今の天皇はさっきからみんなが言っているように人格者ですけれど、これから、100年、200年たって戦争が風化してしまったときに、天皇の存在自体も、みんなの価値観も変わっていってしまうのではという気もします。

島村:国民あっての天皇、日本国民の総意に基づくのが天皇なわけだから、主権者である国民のあり方が変われば、天皇のあり方も変わるでしょうね。

:憲法にある「主権の存する日本国民の総意に基く」ということは、日本国民が天皇を要らないといった場合は、要らなくなると言うことですか?

島村:そう、要らなくなりますね。この憲法第一条は、まず主権の存する国民が先にあって、それに基づいて天皇がある。今上天皇は、それをよくわかっておられるから、「どうぞご理解頂ければと思います」というスタンスです。

:天皇のお気持ち表明が、参議院選挙が終わった直後だったことが気になります。改憲勢力が3分の2以上の議席を取ったことにより、改憲に向かって行こうという雰囲気がありましたよね、自民党は特に。その直後のお気持ち表明によって、改憲が保留になって、国民の関心が天皇や生前退位に向かうのでは、とお考えになった可能性はあったのでしょうか?

島村:そういう見方をしている人もいますね。でも、真意は分かりません。意図的なものだったのか、たまたまその時期だったのか。確かにタイミング的には微妙な時期でしたね、8月8日というのは、終戦記念日も近かったわけですし。

:思うところがあったんじゃないかと勘ぐってしまいます。周りの状況が状況だけに。

島村:いずれにせよ、皇位継承権ということで言えば、まず今の皇太子が継承して、もし亡くなったら秋篠宮が継承することになるでしょう。すると、「皇太弟」という地位も皇室典範には記しておかなければいけないですね。そして次に継承するのは、悠仁親王です。悠仁親王が成人したら、奥さんになる人は大変ですね。男の子を産まなければいけないわけですから。子供ができないのは女性だけの問題って考えがちですが、男性の不妊症だってあります。それを考えると男系のみの皇位継承、女性天皇を認めないという論理にはかなり無理があるのではないでしょうか。

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