いま、世界では何が!? 【第3回】イギリスEU離脱問題

2016年7月21日更新

2016年6月23日、イギリスにおいてEU(欧州連合)を離脱すべきかどうかを問う国民投票が実施された。その結果、残留支持が16,141,241票、離脱支持が17,410,742票といった僅差で、離脱派が勝利。このまま正式に手続きが進めばEU始まって以来の加盟国離脱が現実のものとなる。「EU崩壊」と決めつけるメディアもある中、果たしてこの結果は世界にどのような影響を与えるのか? 本当にEUは崩壊してしまうのだろうか? 社会学者・島村賢一氏が、EUの歴史と、現在の情勢を照らし合わせ、EUの今後を見たてます。

◆世論調査の罠

島村:イギリスの国民投票でEU離脱派が勝ったことを聞いて皆さんはどう思いましたか?

受講者A:えーっと思いました。

島村:どうして?

受講者A:離脱派と残留派が拮抗するとは思っていたんですが、本当に離脱派が勝つような、そんな大胆な決断をイギリス国民がするとは思っていませんでした。

島村:事前の世論調査では残留派が盛り返していると言われていましたからね。イギリスでは前回の総選挙のときも、世論調査の結果とは異なり保守党が大勝しました。そう考えると、残留派が勝ちそうだという予測を発表したことが実際の投票に影響を与えた可能性もあります。テレビでイギリス国民の街頭インタビューを見ても「本当に離脱するとは思ってなかった」という声を多く聞きました。残留という結果になるだろうと思っていたのに、離脱派の方に投票して、今ものすごく後悔している人たちがいるのではないでしょうか。そういう人たちは、もし世論調査の結果が「離脱派が勝ちそうだ」という結果だったなら、逆に残留派の方に投票していたかもしれないという気がするんですよね。これはあくまでも推測ですけれどね。世論調査の結果が、有権者の行動に影響を与えることはあったんじゃないかという気はしていますね。

◆イギリスはEUの準メンバー?

島村:今回は、せっかくなので、EUの歴史という点からイギリスの脱退問題をどうとらえるか、お話をしたいと思います。

ここで何が言いたいかというと、私はイギリスが脱退するということを非常に深刻にとらえているのですが、果たしてそれがEU崩壊にまでつながる問題かというと疑問に思います。イギリスというのは加盟国のメンバーですが、私から言わせると、「準メンバー」「準加盟国」的な性格が強いからです。それがどういうことなのか、今から説明していきたいと思います。

まず、皆さんに聞きます。いろんな団体がそうですけど、創立メンバーは重要じゃないですか? では、EUの設立メンバーは?

受講者B:ドイツ、フランス…あとは…。

島村:ドイツは正確には旧西ドイツですね。そしてフランス、ベネルクス三国のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、そしてイタリアの6ヶ国ですね。

創立メンバーであるこの6ヶ国は何と言ってもEUの中核メンバーです。それが象徴的だったのは、国民投票でイギリスの脱退ということが決まったとき、いちはやくこの6ヶ国の外務大臣が声明を発表したことです。イギリスはただちに離脱するということを正式に届けるようにということと、あとの残った27ヶ国はこれに動ぜず、連帯を強めるということ。この6ヶ国が今回の件でイニシアチブをとったということは重要で、さらにその2日後だったと思いますけれど、ドイツ、フランス、イタリアの首脳が会ってもう一度、声明を発表しましたね。

EUというものを考えるときに、この6ヶ国が中核メンバー。とくに大国の中ではドイツ、イタリア、フランスが重要だということを覚えておいてください。

◆EUはなぜ生まれたのか?

島村:EUの母体というのは、1952年発足の、ECSCです。ECSCは日本語でなんでしょう?

受講者B:Eは欧州ですよね、それから…。

島村:Eは欧州(European)、Cは石炭(Coal)、Sは鉄鋼(Steel)、Cは共同体(Community)です。つまり「欧州石炭鉄鋼共同体」です。これを、さきの6ヶ国で発足したということがポイントです。

どういう目的でこういう連合を作ったと思いますか?

受講者A:戦争で疲弊していた経済を立て直すとか?

島村:確かに戦争に関係あるんですが、石炭と鉄鋼という名前が重要です。

受講者B:対ソ連対策?

島村:それも関係ありますが、石炭と鉄鋼というものが戦争とどういう関係があるのか?ここがポイントですね。

受講者C:生産国と原料輸出国との関税をなくすとか?

島村:そういうこともありますが、石炭と鉄鋼は貴重な資源ですよね? 20世紀の戦争を見てみると、まさに石炭と鉄鋼を巡る戦いでもあったということです。だから、これを一国で保有するのではなく、共有化していけば戦争の大きな原因が取り除かれるのだということですね。

これを主導したのは、旧西ドイツと、フランスです。まさに第二次世界大戦後の独仏の和解。ドイツはコンラート・アデナウアー首相、フランス側はロベール・シューマン外相がこの件に積極的でした。フランス人なのにシューマンというドイツ的な名前ですが、もともとルクセンブルクで生まれた人で、フランス語よりドイツ語のほうが得意というようなフランス人でした。一方、アデナウアーはドイツ人ですが、カトリック信者でした。そしてケルン生まれということもあって、非常に親仏的な人でした。親仏的なドイツ人と、ドイツ的なフランス人が独仏の和解をすすめていったというのが特徴です。ドイツとフランスは19世紀から20世紀の約150年間のあいだに4回も戦争をしています。そういう経験を経て「平和しかお互いの国民が生き残っていける道はないんだ」という問題意識が生まれ、こういう組織が出来上がっていったということです。

また、ベネルクス三国は、独仏の戦いで通り道にもなり、犠牲になった国ですし、イタリアも多かれ少なかれ戦争に巻き込まれてきたという経緯があります。

ちなみにこの6ヶ国は、はるか昔は1つの国でした。中世にちょうどこの6ヶ国を射程にいれた国がありましたね。なんという国でしょう?

受講者A:フランク王国。

島村:そうですね。あのカール大帝の国です。旧フランク王国だった6ヶ国が中心になったということが重要ですね。独仏の和解。もちろん当時は冷戦でしたから、ソ連に対抗するという意味合いもすごく強かった。これが、1958年には、EEC、日本語で「欧州経済共同体」となります。

こうやってこの6ヶ国がまとまっていくのを見てイギリスはどうしたかというと「自分も入れて」なんてことは最初は全然言わず、むしろ「悔しいな、よし対抗してやろう」ということになります。そこで1960年にできたのが、EFTA(エフタ)ですね。日本語で「欧州自由貿易連合」と言います。

イギリスがEECに入っていない国に声をかけ作っていったんですね。まずは北欧諸国のデンマーク、スウェーデン、ノルウェー。翌年にはフィンランドも入りました。また、中立国にも呼び掛けました。スイス、オーストリア。そして、どういうわけか南欧のポルトガルにも呼びかけました。ですから最初はイギリスと北欧諸国と、スイス、オーストリア、ポルトガルですね。イギリスは最初からEECと対抗関係だったということです。

この2つは競い合いみたいな関係になっていきますが、やはりEECの経済国が強い。さらにEECは1967年にEC(欧州共同体)になります。そしてついにイギリスは、1973年に「自分も入れて」と言い、同年イギリスと、やはりEFTAのメンバーだったデンマーク、アイルランドの3ヶ国がEECに加盟して9ヶ国になりました。つまり、1952年から1973年までの21年間は創立メンバー6ヶ国でやってきたということです。

◆加盟国のそれぞれの思惑と理念

島村:ここで重要なのは、イギリスが加盟した動機が「経済的なもの」だったということです。「経済的に得だから入りましょう」というイギリスに対し、さきほど言いましたドイツ、フランスは、経済的なことはもちろんありますが「独仏の和解」が重要だった。これがなければ平和は生まれないという理念が共有化されていたんです。

1981年に、ギリシャがECに加盟。1986年にはスペインとポルトガルが加盟しました。ギリシャ、スペイン、ポルトガルが政治的に共通するものはなんでしょう?

受講者C:独裁政権?

島村:そう、70年代まで独裁政権下にあった。民主的になるのは70年代末から80年代ですね。民主化されたことによって、ECに入れるようになりました。民主的な体制でないとECには入れないという規定がありますから。

ただ、この3ヶ国は経済的に得だということももちろんありましたが、もうひとつ「民主的な体制になった、新しく自分たちも変わるんだ」という理念がありました。民主的な体制を守るためにも、ECに加盟しておいた方がいいということです。

もう一度強調しておきますが、イギリスはそういうものがありません、あくまでも経済的な損得勘定から加盟したんですね。

◆EUに訪れた大きな転機

島村:そんな中、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年にドイツが再統一されます。冷戦の終結です。ECには旧西ドイツが入っていましたから、再統一されたドイツは自動的にそのままメンバーだということになりました。

この流れの中で重要なのは1992年に調印された「マーストリヒト条約」です。マーストリヒトはオランダの東にあるドイツとの国境に近い町です。EC加盟国間の協議がまとまり、この場所で欧州連合の創設を定めた条約が結ばれたのです。93年に正式に発効され、EU(欧州連合)になりました。この時の、最初の加盟国は12ヶ国です。今、イギリスを含めてEUの加盟国は何ヶ国ですか?

受講者B:28か国。

島村:そうです、当初は今の半分以下だったということですね。それまでは基本的に経済結合だったものが、マーストリヒト条約を結んでEUになったことで、安全保障も外交も共通でやっていきましょうということになりました。それから、司法、法律もできるだけ協調してやっていきましょうということになったんです。そしてもうひとつ、将来は共通通貨を導入しようということも決めました。そして、1995年に、新たな参加国が入りますね。冷戦が終結しましたから、それまで中立国だったオーストリア、スウェーデン、フィンランドの3ヶ国が加入して15ヶ国になりました。

さらに、1995年以降、EUの性格を決定的に変える2つの出来事がありました。

1つ目が「シェンゲン協定」の発効です。これは基本的に加盟国の国境コントロールをなくそうというものです。このシェンゲン協定に参加したのは15ヶ国のうち創立メンバーの6ヶ国と、スペイン、ポルトガルです。スペイン、ポルトガルより、イギリスやデンマークの方が加盟したのは先ですが、イギリスは断りました。

もう1つは1999年のユーロの導入です。実際に通貨が回るようになったのは2002年ですけれども、1999年からドイツのレストランなどではマルクとユーロが併記されるようになりました。3年間の準備期間があったんです。これにもイギリスは加わりませんでした。シェンゲン協定にも、ユーロ導入にも加わらなかったのは大きいですね。

◆EU加盟国内に生まれたギャップ

島村:冒頭で私がイギリスを準メンバーと言ったのはこういったことからです。

28ヶ国あるEU加盟国のうち、ユーロを導入しているのは18ヶ国です。導入しなかったのはイギリス、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、チェコなどです。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが著書『ユーロ消滅』の中で、これに関する重要なことを指摘しています。

EU加盟国の28ヶ国の代表が集まって、いろんな話し合いをします。金融政策や通貨政策について決めた後で、「次にユーロについて話し合いましょう」となった時に「導入している18ヶ国のメンバーでやりますから、そうでない国の人は外へ」という感じになるわけです。結局、実質的な金融政策においてユーロを導入していない国は、その場にいないわけですから決定権がない。決定権がなくなるだけだったらいいのですが、導入している18ヶ国が決めたことが導入していない加盟国にも影響するようになる。つまりユーロ圏に入っている国と、入らない国とでギャップが生まれてくるという指摘です。

日本のメディアがあまり報じてないのですが、イギリスは今回の離脱問題において国内で世代差がすごくある。若い人たちは残留派が多いですが、高齢者になればなるほど離脱派が多い。それってやっぱり歴史なんですよ。どういう歴史かというと、EFTAのような戦後の歴史もありますが、もうひとつの大きな歴史は第二次世界大戦。どういうことかというと、ナチスドイツが始めた戦争によって、一時的にヨーロッパ大陸のほとんどがナチスドイツによって制覇された。そんな中、唯一ナチスドイツに対して果敢に戦ったのがイギリスなんです。ご存知のようにチャーチルですね。ドゴールはロンドンに亡命政府を作ってイギリスから指示を出した。あるいはポーランドの亡命政府もロンドンにありましたね。1941年の12月に太平洋戦争が始まってアメリカが参戦してくるまで、ドイツからの空爆を受けながらも、とにかくイギリスが踏ん張りに踏ん張って、ノルマンディー上陸作戦で欧州大陸を解放していった歴史です。その経験が大きいんですね。

1990年の10月3日、ドイツ再統一の日の1ヶ月半前の8月末のことです。イギリスの、日本風に言えば経済産業大臣のリドリーが、失言をしました。大きくなるドイツを前に思わずこういうことを言ったんです。

「あともう少しでドイツが再統一される。これからECはドイツのものになるであろう。ヒットラーが軍事力によってやれなかったことを、ドイツは経済力によってやるに違いない。皆さんの中には、フランスがおさえてくれるからいいじゃないかという人がいるかもしれないが、フランスはあてにならない。フランスはドイツにしっぽを振る、プードル犬にしかすぎない」と。

すごい話でしょ。イギリス国内から批判がでたこともあり、彼は数日後に責任をとって辞めました。でも、ドイツの政治家はまともに取り合いませんでした。むしろ「彼は酔っぱらってたんじゃないか?」と言ったんです。

実はこのことは繰り返されています。今回のイギリスのEU離脱問題において、離脱派の元ロンドン市長のボリス・ジョンソンは「ヒトラーが軍事力でやらなかったことを経済力でやる」というようなことを言って大顰蹙をかいました。イギリスの中には未だに根強い反独感情があるんですね。

◆今後のイギリスの同行とEUの行方

島村:さて、そこで私の見たてですが、EU創立メンバーのどこかが脱退すると言ったらEUは崩壊すると思います。たとえばフランスとかね。でも、イギリスの脱退ということで留められるならば、EUは崩壊しないだろうと思っています。むしろ、イギリスの方が非常に混乱していているのではないでしょうか。離脱派の中心人物であったジョンソン氏は、結局保守党の総裁選に出ませんでしたね。

そしてEU離脱を一番望んでいた共和党委員長のナイジェル・ファラージも辞任しました。離脱を煽った人たちが次から次へと辞めていく、ひどい話ですね。そういう意味で、イギリスが本当に離脱するのかどうか疑問ですね。

これは、希望的観測ですが、先日(2016年6月26日)のスペインの総選挙のときに、EU離脱派の党が伸び悩みました。その3日前にあったイギリスのEU離脱を決める国民投票の結果を受けての結果だと思います。この結果を見ても、そう簡単に欧州連合崩壊にはならないかと思いますね。日本のメディアの中には崩壊を早計に言う人もいますが、そうではないと私は思います。ただ、今回の一連の騒動が突き付けた問題は大きいですね。

まずイギリスについていえば、もともとこの国民投票をやる必要があったのかどうかということが言えます。国民投票をやろうと決めたのはキャメロン首相です。キャメロン自身がもともと欧州懐疑論者であって、なにがなんでもEUに同調してやっていくという確信を持ったタイプではなく、むしろ昔からイギリスの中にいる「大陸とは距離を置く」というタイプ。彼の行動を見ると、彼女を思い出しました。彼女ってわかりますか? マーガレット・サッチャーです。サッチャーが1988年の在任中に有名な演説をしました。当時はECでしたから「ECはイギリスの主権を大幅に侵害している主権侵害だ」と言ったんですね。イギリスの中、特に保守党の中にある欧州懐疑論の伝統が、サッチャー、キャメロン路線の中にあると私は思います。キャメロンがもう少し、懐疑論者ではなく親欧州的な、ベックの言葉では「欧州構築論者」と言っていますが、そういう人であったら、国民投票をしたでしょうか? もちろん、圧力もあって、選挙のために保守党を半分浸食するようなかたちで、イギリスをEUから離脱させる層というのが伸びてきて、守勢に回ったということもあります。国民投票にもっていくという選択肢が果たして正しかったのか? 彼の狙いとしては、国民投票をやって残留派が勝つことで自分が生き残ろうと思ったのに、結局読みが違ったということじゃないでしょうか。議会は圧倒的多数に残留派の方が多かったのですから、国民投票でなくて、議会で決めればよかったんじゃないかと。

保守党のキャメロンの後継者が9月には決まるはずですが、その時点で、おそらく下院の総選挙があるんじゃないかなと思うんですね。たとえば、総選挙で労働党がかなりの数で勝つということになると、また流れは変わってくると思います。労働党が基本的に残留派ですから。むしろ、今回の離脱に責任があるのは労働党の党首のジェレミー・コービンが曖昧な態度をとったということが批判されているくらいですから、まだイギリスの動きは流動的というのが私の見立てです。

◆国民国家を超えた新しい枠組み

島村:今回の一連の流れでもうひとつ重要なのが、スコットランドと北アイルランドの動きです。国民投票の離脱という結果を受けてそれぞれの代表が「それだったら、自分のところで再度国民投票をやって、自分たちだけでもEUに入る」というようなことを言っていますね。事実上、連合王国、イギリスからの脱退ですよね。イギリスがEUを脱退するんだったら、自分たちがイギリスを脱退してEUに入るということは、完全に国民国家の枠組みが崩れているということになりますね。

受講者B:イギリスはそれを恐れているんですか?

島村:恐れているでしょうね。ただ、スコットランドや北アイルランドから強い動きが出てきたら、それは考えざるを得ないということもあるでしょう。北アイルランドの人たちは、アイルランドと今は自由に行き来ができるんです。でも、もしイギリスがEU脱退ということになったら、北アイルランドはイギリス領ですから、アイルランドと自由に行き来ができなくなる。北アイルランドの人たちは、イギリスが正式に脱退しないうちに、いち早くパスポートをとっておこうと、書類申請に並びはじめているようです。

もはや、今まで私たちが考えていた国民国家という枠組みは崩れていて、古い枠組みだけでは考えられないということです。アジアの中にいると、国民国家がまだきちんとあるけれど、ヨーロッパに行くとそうではないということを覚えておきましょう。EUというのは国民国家という枠組みを崩していこうという壮大な実験でもあるわけですから。この実験が今後どうなっていくのか、私たちアジアの人間も注目していく必要があります。

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