いま、世界では何が!? 【第2回】熊本地震から考える

2016年5月30日更新

あれから5年後。東日本大震災からの復興もままならない日本が、また大きな地震に見舞われました。気象庁の観測始まって以来という事態に、私たちが考えなければならないことはたくさんあります。今回は、熊本地震をさまざまな観点から見てみることにしました。

◆熊本地震
(2016年4月)14日午後9時26分ごろ、熊本県を震源とする最大震度7の強い地震が発生した。気象庁によると、震度7を観測したのは熊本県益城町。この地震による津波の心配はないという。震源の深さは10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.4と推定されている。午後10時7分ごろにも、熊本県で震度6弱の地震を観測した。
熊本県警御船署によると、14日午後10時10分現在、益城町で10軒以上の家屋が倒壊したとの情報が入っている。警察庁によると、同町で老人2人が下敷きになっている模様。佐賀県の災害情報連絡室によると、14日午後9時40分現在、九州電力玄海原発(同県玄海町)では、地震による被害は確認されていないという。九電川内原発(鹿児島県薩摩川内市)について、鹿児島県は「九電から『異常なし』との連絡が午後9時44分に入った」としている。(朝日新聞デジタル 2016年4月14日22時29分)

 気象庁によると、16日午前1時25分ごろ、熊本県熊本地方を震源とする強い地震があり、熊本市などで震度6強を観測したほか、九州~東北地方の一部の広い範囲で震度6弱~1を観測した。震源の深さは約12キロで、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7・3と推定される。1995年の阪神大震災級の規模になる。14日以降、今回の震源付近で地震が続いていたが、同庁は規模の大きさなどから、今回の地震を「本震」とする見解を示した。(朝日新聞デジタル 2016年4月16日05時10分)>

受講者A:私の知り合いのご実家が熊本だったんですが、家が倒壊したそうです。東京に避難させようと思ったけれども、その手段がない。迎えに行って、空港でレンタカーを借りても、現地に行くまですごい時間がかかったようで、大変そうでした。いざと言うときに、現場に行くことはできても何もないし、外に出る手段もないんだということがわかり、いろいろ考えなければいけないのだと思いました。特に地方だと、土砂崩れで道路が寸断して孤立したり、道路の陥没などがあれば、お年寄りなどは歩けないとか、そういう問題があって、東日本大震災とは違う意味で考えさせられました。

島村:熊本地震も、東日本大震災あるいは2004年の新潟県中越地震と比較をすると、いろいろな問題が浮かび上がってきますね。地震という災害そのものと、その後に起こった問題の両方においてですが。
今までに体験したことがなかったという意味では、14日の夜、本震と思われていた震度6の地震、その後に震度7と訂正されましたが、その最初の地震のから1日半後の16日未明の方がさらに大きく実はそれが本震だったということが判明します。こんなことは気象庁始まって以来で、どっちが本震で、どっちが余震だかわからない状態になったということ。そして、その後の余震ですが、震度1以上の体に感じる地震が2週間で1000回を超えたというのも今までになかったことです。ちなみに新潟県中越地震のときは、余震が1000回を超えたのは約1年後だったと言われていますから、それを2週間で超えたということは、ものすごい頻度だということがわかります。そして未だに地震が止まっていません。
もう1つ象徴的だったのは、気象庁が「こういうことは気象庁観測史上始まって以来なので、どうなるかわからない」とギブ・アップしてしまったこと。あれは大変なことだったと思います。東日本大震災のときでも「こういうことはなかった」とは言っていませんから。

受講者B:熊本の人が、こんなことは今まで経験したことがないし、ここは地震が起こらないところだと思っていたとおっしゃっていましたが、実際は、昔の記録を見ると大きな地震があったとされています。気象庁の観測史上では初めてかもしれませんが、そんなものはたかだか100年ぐらいなんですから、もうちょっと昔の記録を調べていれば、何かしらの対策はとれていたのではないでしょうか。

島村:確かに、気象庁の観測史上始まって以来というのは明治以来の歴史で、100年ちょっとぐらいの歴史です。地球の長いタイムスパンから見れば、100年ちょっとじゃ地震のことはわからないでしょう。TBSの「ニュース23」という番組で歴史学者の磯田道史氏が言っていましたが、古文書を読むと、1619年頃に熊本大分地方で地震があって、熊本城はかなり崩れて、殿様たちも住めなくなって避難をしたと書いてあるらしいです。今回、今まで崩壊したことのない熊本城が大きな被害を受けたということが衝撃的に語られていますが。1619年頃と言ったら、約400年前、100年どころか、400年も前です。東日本大震災についても、平安時代には、同じ場所でものすごい地震があって、津波があったということが記録に残っています。
地震を研究する気象学や地震学というのは理科系の学問で、自分たちが観測したり、計測したデータにばかりとらわれがちですが、実は、古文書に残っているような歴史学の世界も大事なのではないでしょうか。理科系の研究者も、震災の歴史、広い意味でいえば社会史などの研究者と意見を突き合わせるような、学際的な研究が今必要なことだと思います。そうすれば、歴史学と地震研究がつながって、古文書によるとここでは過去にこういうことがあったらしいとわかれば、地層などを検証していく…。そのように歩み寄っていくと、研究がより深まっていくのではないでしょうか。学問はどうしても縦割りになりがちで、横の連帯がなかなかとれません。これからは、そういうことが必要だと思います。

受講者B:東日本大震災の時に、昔話の研究をしている大学の先生が悔やんでいたという話を聞いたことがあります。津波に関する昔話がいっぱい伝わっていたのにもかかわらず、なぜそれを活かせなかったのかと。

島村:歴史には伝承の要素もあり、それを軽く見てはいけないですね。自然科学系の研究者たちは、伝承にあまり重きをおかないところがあります。しかし、実は伝承にこそ貴重なデータが潜んでいるということに謙虚に向かい合うべきでしょう。
学際的な研究ということで最近成功している例としては、脳の研究があります。“心っていったいなんだろう?”と考えた時に、哲学と心理学、生理学、医学の研究者が共同で研究することはあります。ただ、ここで気をつけなければならないのは、どういう「もの」・「こと」を対象に研究するのか、そしてどういう問題意識に基づいて研究するのかということを明確にしておくことです。研究の出発点で、みんながそれをある程度共有しなければならない。全部が不可能ならば、ある程度共有できないと研究成果を出すことは難しくなるでしょう。その上で、学問的に、それぞれこういうことがわかったということにアプローチしていって、綜合していくことが重要です。研究というと分析(アナライズ)、つまりどうしても細かく分けて行く作業になる。しかし、学際的な研究には、綜合(シンセサイズ)することが必要で、その際に学者の中には、そういう能力にたけた人と、そうじゃない人がいるんですね。「それはこういうことです」と、まとめ上げて行けるような人、そんなコーディネートの能力がある人がいるかいないかで大きな違いが出てくると思います。本当はそういう役目を果たすのは哲学のはずなんですが。

受講者C:今回気になったのは、被災地に救援物資がなかなか届かなかったという報道があったことです。民間のイオンなどは、大量に空輸を行ったりしたようですし、民間の対応の方が早かったような気がします。

島村:そういう意味で言うと、新潟県中越地震や東日本大震災で得られた教訓が、きちんと活かされているかどうか。それを検証することも重要ですね。あの時は、こういうものが足りなかった、では、そういう事態に陥ったら今度はどうしたらいいのかなど、教訓をきちんと積み上げていくことが大事です。学問の話ではないですが、役所が縦割りになっているので、どうしても相互の連携がうまくいかないということがあります。でも、日本はこれだけ地震が多いのですから、災害対策を専門とする役所を作った方がいいのではないかと思います。災害対策省など、どんな名称でもいいですが、そこでいろいろな観点からのデータを集めて、現場の人たちの話、たとえば地元の町内会長、村長、市長、県知事など、そういう現場の声を全部くみ取って、それを教訓として活かしていくような仕組み、それが必要じゃないでしょうか。とにかく日本はそういうことに関して組織が縦割りになり過ぎていて、情報を各組織を横断して蓄積していくことが難しいんです。それをきちんとやっていかないといけないという気がします。
それから、東日本大震災の時から言われていることですが、民間の方が対応が速いというのは、大型モール、大型スーパーなどを持っている民間企業は、災害時はできるだけそれを活用するという方向性で、現地に物資を届けるルートができているということがあります。それらの施設は、災害時は避難所として機能する可能性もあるわけですし。だから、民と官との間に、災害時にはこうしましょうというような連携の決まりがあれば、すぐにできるはずです。

受講者A:私の友人は、某宅配便会社の管理職で、地震の2日後ぐらいには被災地に派遣されて、ゴルフ場などのカートを利用するなどして、物資を運ぶルートの確保やボランティアなどの仕事をしていたらしいです。この企業は、東日本大震災の時もいち早く宅配便を再開したところで、これは、あの時の教訓が生きているなと思いました。民間の企業は責任の所在、個人の裁量の範囲などがはっきりしています。ここまでは個人の裁量でやっていいとか、指示系統もはっきりしていますし。でも、役所の場合は、上司に聞いてみないとわからないとか、上司から命令されたのでとか、そういうことになりやすいですよね。

島村:確かに役所は、そういうことは規則にないとか前例がないとか、そういう言い訳をしがちです。しかし、前例がないからこそ、その場できちんと臨機応変に判断する必要性があるかと思います。

受講者B:前例がないと言えば、すでに日本は福島第一原発の事故で、前例がないというのは経験しているわけだから、前例がないときにどうしたらいいかということを、いろいろなマニュアルに1行でもいいから書いてあればいいのにと思います。今回の熊本地震でも、あのような状況でなぜ川内原発を止めないのでしょうか。常識的に考えれば、みんなが思うはずで、世論調査でも止めたほうがいいと言っている人は多いです。原発自体に反対していない人でも、とりあえず地震が収まるまでは止めた方がいんじゃないかと言っています。こんなことで、日本の原発は大丈夫なのかと不安になりました。何があっても、電力会社は、止めないんだろうし、何かあっても責任は取らないのだろうと思いました。

島村:原発を止めるか止めないかというのは、根本的には政治判断によります。というのも、2011年の東日本大震災のときには、専門家がそうアドバイスはしたかもしれないけれども、当時の菅首相が浜岡原発を止めました。あれは政治判断です。当時の原子力安全委員会が何を言っているかに関わらず、首相が判断したのです。今回の川内原発に関して原子力規制委員会は、データに基づいて言えば、今のところは地震の影響はない、しかも、加速度620ガルの地震にまで耐えられるから大丈夫だと言っています。でもそれは、原発の近くで、ましてや直下型の地震がおきないということを前提にした話で、もし直下型の地震が付近で起きれば、620ガルなど簡単に超えてしまうでしょう。大丈夫だと言うなら、直下型地震が起きないという根拠はどこにあるかを説明してもらわなければなりません。起きるという根拠はないと言うけれども、起きないという根拠もないのですから。現時点で地震に関しては、科学的に言っても「絶対」ということはないんです。

受講者A:原発は、どういう事態に何が起きたら止めると言うマニュアルはあるんでしょうか? 半径何キロ以内でこのぐらいの規模の地震が起きたら止めるとか。

島村:海外ではあるかもしれないけれども、日本の場合はたぶんないでしょう。たとえば、原発をこれから建設するというような場合、建設予定地の地下に地震の活断層があったら建設できないというような明確な条件はありますが、稼働中の原発を止めるというのは、現場の判断や政治上の判断だと思います。どの規模の地震があったら止めるというのは、聞いたことがありません。

受講者B:川内原発では、東日本大震災後の定期点検で運転停止をしてから、再稼働するための条件として、住民が避難するための経路が確保されていることという明確な条件があったわけです。それなのに、安全が確保されないままに、そこはなおざりになったまま一号機、二号機が2015年の8、9月にそれぞれ再稼働しました。今回の熊本地震では、道路の寸断や鉄道の運休など交通網などがずたずたになっているのにもかかわらず、運転は続けられています。こんな事態になっても停めないんだと驚きました

島村:それは日本の原子力発電事業においては、象徴的なできごとですね。原子力規制委員会は、原子炉そのもの、建物そのものなど、ハードに関することに対しては、さまざまなテストなどで審査しますが、住民の避難などの社会的な対策、つまりソフトに関しては、何も提言しません。「それは政治の仕事だから、自分たちには関係ない」というようにも聞こえます。原発推進派の政治家たちは、日本の原子力発電の安全性の基準は、世界で最も厳しい基準だと言いますが、それも何を根拠に言っているのかわかりませんね。たとえば、原発の寿命にしても、日本では、60年ぐらいまでOKと言っているけれども、5年前の福島原発の事故を受けて脱原発に転じたドイツでは、メルケル首相は、その時点で建設後32年のものも止めると判断しました。EU基準だったらそうなります。だから、日本の基準が世界で最も厳しいというのは、どう考えてもおかしいのです。官房長官が記者会見で日本の安全基準は世界一だと言った時に、記者たちはなぜ突っ込まなかったのでしょうね。

受講者A:原発を停めるか停めないかは政治判断と先生はおっしゃいましたが、原発は、国営ではありません。ということは、首相が何と言おうと九州電力の社長が停めると言えば、停められるのですか?

島村:もちろんです。ただ、電力会社が自主的に停めるというケースはほとんどないでしょう。電力会社は、何が何でも原発を稼働し続けたいんです。なぜなら、作った以上、動かし続けないと採算が合わないからです。原発は安いからいいんだという人がいますが、それはランニングコストが安いという意味。つまり、燃料を燃やす費用は他の発電方法に比較して安いんです。しかし、原発のコストには、ランニングコスト以外に、3つのコストがあります。
1.イニシャル・コスト(初期費用)―建設費用など。
2. リスク・コスト―事故が起こった時などの、事故対応のためのコスト。
3. バックエンド・コスト―寿命などがきて廃炉にするコスト。
原発は、まずイニシャル・コストが膨大にかかります。地層などを調べ、活断層など建設して危険がないかどうかなどを調査する費用。それに、周辺住民への補償費などもこれに含まれます。これは、原発一基につき、だいたい5000億と言われます。あまりに費用がかかるので、アメリカでは、1979年のスリーマイル事故以来、原発を作っていません。採算が合わないからです。では、なぜ日本ではできるのか。それは、純粋に民間企業ではないからです。国からの援助があり、官と民の癒着があるからできるのでしょう。
そして、もう一つの大問題は、バックエンド・コストです。今まで日本では原発の費用計算の時に、バックエンド・コストのことは考えられていませんでした。以上のことを総合的に考えると、原発のコストは決して安いものではないんです。『原発のコスト エネルギー転換への視点』(大島堅一著 岩波新書)という本は、そのあたりのことを説明している良い本なので、読んでみると良いと思います。

受講者A:一般的な民間企業だったら、川内原発に万が一のことがあったら、周辺の人を避難させる費用とか、放射能が漏れたりしたら、汚染した土を元に戻す費用とか、莫大な費用がかかりますから、停止を考えると思います。でも、今回止めなくても大丈夫だと判断しているのは、福島のように何かあっても国が何とかしてくれると考えているからでしょうか。といっても、福島だって、未だに収束していませんけれども。

島村:福島原発の事故が収束するのに、あと40年かかるなどと言われていますが、私はそれでも無理だと思います。その理由は、まず第一に、メルトダウンした核燃料棒が実際どうなっているか、正確なところはまだ何もわかっていないこと。収束させようと思うんだったら、まずそれがどうなっているかをきちんと確認しなければなりません。第二には、核燃料棒に接近する手立てがまだ見つかっていないこと。ロボットなどもまだ開発中で目処が見えていません。第三には、接近する手立てが開発されたとして、もう使うことのできない核燃料棒をどこにもっていけばいいのかという問題です。非常に放射線濃度が高い核燃料の最終処分場が日本では決まっていません。問題は山積みです。福島原発事故の収束には、40年どころじゃない、100年ぐらいかかるのではないでしょうか。
2016年はロシアのチェルノブイリ原発の事故発生から30年がたったということで、「チェルノブイリからの報告」という特集を「ニュース23」でやっていましたが、そこでも事故の収束まで100年を見込んでいると言っていました。これは、他人事じゃありません。チェルノブイリは、事故当時コンクリートで石棺したけれども、30年たってそれがボロボロになり始めているので、新たな工事が始まっているのだそうです。でも、それだって完璧とは言えません。だから、まだあと100年はかかるのではないかと言われているんです。原発の事故はとにかく気が遠くなるような話で、普通の事故と同じように考えてはいけないのです。

受講者B:先日読んだ本で知ったのですが、オーストラリア北部に住むアボリジニのミラ-ル族の所有する土地では、長年に渡って原発の燃料・ウランが採掘されていることから、ミラール族の長老が国連事務総長あてに、「自分たちにも福島の責任がある。」として、ウラン採掘に改めて反対し、鉱山使用料として、かれらに支払われていた巨額のお金を返上すると手紙を送ったそうです。またアボリジニのひとたちで作る「西オーストラリア非核連合」から日本に向けての手紙でも、オーストラリアのウランが日本の環境を汚したことに対する遺憾の言葉が届いたということです。自分たちがウランを輸出したせいで、日本が苦しむなんて、本当にごめんなさいと。一方で、2011年の4月初めに福島原発から高濃度の放射線物質に汚染された水が、太平洋に流れ出しているのが発見されました。これは日本だけの問題ではなく、世界中の人に迷惑をかけたわけなんですが、そういう意識がみんなの中にあまりないのに驚きます。

島村:それは、私も大学の授業で学生たちに尋ねたことがありますが、海に関係のあることで、世界的に顰蹙を買った出来事は?と聞いても、みんなポカンとしていました。そして、あれだけ世界的に重大な影響のあることをしたのにもかかわらず、東電のトップ、社長も会長も謝りませんでした。現場の課長クラスなど、若い人が泣いて申し訳ございませんでしたと言っているのを見て、ひどいと思いましたよ。本来なら、東電の社長、会長と日本国の首相、それに経産省のトップなどが出てきて、世界中に向かって説明とお詫びをするべきでした。日本人は、そういうことに対して鈍感だと言わざるを得ませんね。

受講者A:日本人は問題をすり替えるのが上手いような気がします。海や畑が汚染されているなどとあまり言い過ぎると、風評被害がでるので、生産者が可哀想だからとか言って。きちんとした情報を消費者に伝えて、ダメだったらダメできちんと補償を考えるとか、そうするのが筋だと思います。原発事故後は、福島産のものは明らかに価格が下がっているように思います。今も、悪い影響は出続けているはずなのに、それは言っちゃいけないとか、封印されてしまっているのはおかしいと思います。

受講者C:九州の人はもちろん大変だとは思うんですが、これで東北の被災者のことが忘れられてしまうことが心配です。先日私は石巻に行ったんですが、いまだに土地のかさ上げの工事が続いていますし、仮設住宅からも出られない人も多くいます。その現実を今、どれだけの人が理解しているのだろうかと思います。

受講者A:広島の土砂災害があったことで、山を掘削して新しい住宅を作る際の建築の安全基準が高くなってしまったせいで、仮設から出た人が住むための住宅の建設予定がかなり伸びているらしいということを聞きました。仮設住宅は、しょせん仮設ですから、長く住むことは考えられていないので、カビの被害なども多いようです。土地のかさ上げ工事にしても、ショベルカーが掘削して土煙が上がっている土地が延々と続いていました。日本の光景とは思えませんでした。

島村:東北復興のためには、建設費用も人手もまだまだ必要です。こんな中、なぜ東京オリンピックを開催するなんて決めたんだろうかと思います。コンパクトにやると言ってましたが、国立競技場やエンブレムの問題ですごくケチがつきました。おまけに聖火台を作る場所を作るのを忘れていたとか信じられませんね。私は、そんなことやっている場合じゃないと思うのですが。

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