いま、世界では何が!? 【第1回】シリア難民問題

2016年5月5日更新

 世界各地で起きているテロ事件や、アメリカ大統領選の行方といったグローバルな問題から、政治家や芸能人のスキャンダルまで…現代を生きる私たちのまわりには日々さまざまな出来事が起きています。あれってどういうこと? それって私たちの生活にどんな影響があるの? といった素朴な疑問に社会学者の島村賢一氏が答える不定期連載「いま、世界では何が!? グローバル社会の何故、何を社会学者・島村賢一が読み解く!」。同氏はドイツを代表する社会学者ウルリッヒ・ベックの訳者、解説者としても知られます。
第1回のテーマは「シリアの難民問題」。EU諸国を悩ませる難民問題は決して対岸の火事ではありません!

※この連載は、島村賢一先生が毎月行っている「社会学セミナー」の冒頭で、生徒が気になる時事問題について解説したものを編集したものです。

 EU諸国に流入が続く中東などからの難民の数を抑えようと、2016年3月シリアなどから流入する難民や移民を原則、すべて経由地のトルコに送り返すことでトルコ政府と合意。その代わりに、トルコにいるシリア難民のうち7万2000人をEU各国で分担して受け入れることなどで合意した。EUはトルコ政府に対し、国内の難民支援の費用として、再来年にかけて60億ユーロ(日本円で7600億円)を段階的に拠出することなどを決めた。そして同年4月4日、合意に基づく送還の第1陣としてギリシャ当局は、自国に流入した移民・難民をトルコへ送還した。

受講生A:難民のトルコ送還がはじまりました。それに関するネットの書き込みを見たのですが「だからメルケルの政策は間違っているんだ」というような内容がとても汚い言葉で書かれていたのが気になります。

島村:そうですね。ではまず難民問題について事実関係を整理しましょう。昨年(2015年)はヨーロッパに向かうシリアを中心とした難民の数が今までと比べものにならいぐらい、もの凄い数になっています。
そしてその難民をEU諸国の中で一番多く受け入れているのはドイツです。ドイツは1年間で100万人以上の難民を受け入れています。難民はシリア出身だけではなくてアフガニスタンやイラク、その他、北アフリカ出身の人など、色々な国の難民がいます。ただ多いのはシリアの難民ですよね。
ポイントを整理していくと、ひとつは難民と呼ばれる人たちが、「とにかく脱出したい、ヨーロッパに行きたい」ということで、なかば犯罪者的な人たちにお金を払ってボートに乗ったり、非常に危ない目にあいながらヨーロッパを目指しているという事実があります。途中で海で溺れて死ぬ人が続出し、何百人、何千人という規模で死んでいます。ただ船で脱出中に溺れてしまう人の話はヨーロッパでは4、5年前から問題視されていました。毎年数百名の死者がでているのを「なんとかしなければいけない」という話があったんです。そして、昨年はシリア難民がすごく増えたということです。
ドイツの場合で言うと昨年の半ば過ぎくらいまではメルケルさんもまだ支持率が高かったのですが、秋を過ぎた頃から彼女の難民政策に対する態度について「このままでいいんだろうか」という批判的な見解が同じ党の中や、連立を組む相手からも出てきて世論も変化し始めました。特にメルケルさんの出身母体のキリスト教民主同盟の右派ですね。連立を組んでいるキリスト教社会同盟というバイエルン地方の政党は保守色が強いですから、保守右派の人たちから「そんなリベラルな政策をとってどうするんだ」という声があがって、だんだん窮地に陥るようになりました。
こうした政治レベルな批判と、もうひとつは地方自治体の実際に実務を取り仕切る人たちが悲鳴をあげているということもあります。「あまりにも数が多くて、とてもじゃないが対応しきれない」ということがあって、支持率が下がってきているんですね。
そして、昨年の12月31日、大晦日の夜に起きたケルンでの出来事がドイツの世論を決定的に変えてしまいました。主に北アフリカ出身の難民の男性たちがケルンの市街で、犯罪をおかした。窃盗が主目的だったんですが女性に暴行をはたらいたということもあって、数十名が逮捕されました。それを受けて、年明けに世論の風向きがかなり変わったということですね。ますますメルケルさんが窮地に陥った。ただ彼女はぶれていません。その理由のひとつは、キリスト教の伝統。彼女は牧師の娘だからです。
メルケルさんはキリスト教の牧師の娘ということもあって、旧東ドイツにおけるキリスト教をバックボーンとした市民運動を経て、政治的に頭角をあらわしてきた人なので、彼女の中にキリスト者としての確固たるアイデンティティがあるんだろうと思いますね。
難民に救いの手を差し伸べるというのは、キリスト教の「隣人愛」からきている。それを私たち日本人は十分わからなければいけません。ある新聞記事で読んだのですが、アメリカの経済学者で、ノーベル経済学賞をとった、クルーグマンという人が今年の3月に来日して、来年4月の日本の消費税増税を先送りした方がいいと安倍首相たちに進言しました。その時に安倍首相たちが彼に対して「これはオフレコにしておいてください」とした上で言ったことを、結局、いろんな考えがあったのでしょう、全部英文で自分のブログに掲載したんです。その中のひとつがこの難民問題についてでした。安倍首相たちが「欧州諸国、あるいは欧米諸国があれだけ難民を受け入れているということは、要するに経済的な利害というのがあるんじゃないですか」「教育とか雇用とか結局経済的に自分たちが得になるからやってるんでしょ」というようなことを言ったそうです。僕はそれを読んだ時に、別にそれは安倍さんたちだけでなく、普通の日本人が考える、ある種の考え方だと思いました。ヨーロッパの人にはバックボーンに隣人愛という精神的なものがあるということが分かっていない。だから、自分に得になるからやっているんじゃないか、そうでなければ、何故そんなに沢山の人を受け入れるんだろという、ある種素朴な考え方なんでしょう。でも、やっぱりバックボーンにあるものがわかってないといけないと思います。
それともうひとつドイツの場合は、キリスト教の伝統とは別の話で、基本法、日本でいう憲法の十六条に国是として難民を受け入れるということを決めています。それはナチスによる迫害に対する痛切な反省からきています。戦後ドイツの理念というのは難民を受け入れる人権保障する、十六条ですね。もうひとつは「人間の尊厳は不可侵である」というドイツの基本法の1条。ここで注意してもらいたいのは、「国民」とは言わず「人間」と言っていること。これが重要なんですね。日本国憲法の場合は、主語が「国民」となっているものが多いでしょ? 「人間」というのはあまりないですね。ドイツの基本法の1条は「人間の尊厳は不可侵である」と言っているんですね。何故そういう条文が入ったのかはもうわかりますね? アウシュビッツの歴史です。ドイツ国民の間では、難民を受け入れるということは自分たちの国是なんだという意識がかなり共有化されています。私たち日本人がそうした背景を知らずに「何故、難民なんか受け入れるんだろう」と思うのはとんでもない間違いだろうという気がします。それをふまえた上で、それでも昨年はドイツの難民の受け入れ数が100万人以上と、あまりに多かったというのは事実です。ドイツは色んな人を受け入れてきたという歴史がありますが、やっぱりそれで今回の件は、かなり大変なんですね。そういう流れの中で、結局ドイツだけではなくフランスなど、ヨーロッパ全体として「もう、ちょっとこれ以上は…」といった感じになってきているのは事実です。「じゃあどうするのか?」という話になって、今回の送還措置が、トルコとの交渉によって決まったということがあります。
しかし、今回の措置に対しては人権団体、アムネスティ・インターナショナルや、国連の難民高等弁務官、といった人たちから批判もされています。しかし、EUを擁護するためにひとつ言っておくと、一方的に「受け入れない」「送還する」と言っているのではなくて、ちゃんとトルコからの難民を7万2千人は受け入れるとしています。しかも送還する難民の出身国はシリア以外のイラクとか、アフガニスタンといった本国は戦争が終わっている状態の国なので送還するということですよね。
この措置の目的は何かというと、いわゆる犯罪者的な集団によってお金をはらって非常に危険な目に遭っているような人たちを出来るだけ減らすことです。やみくもに難民を受け入れないと言っているんではありません。もちろん本音としては数を減らしたいということはあるかもしれないけれど、主目的は無秩序なかたちで犯罪者の手によって運ばれて来るような人たちを、とにかくどうにかしたいというのが1つの狙いです。それにトルコも飛びついたということもあるでしょう。補助金、お金が欲しいということと、もう1つはトルコからすると、交渉の時も言っていましたが、そのことによってEU加盟の手続きを早くしてもらいたいということがあります。ただ、それは国家の論理、上からのいわゆるコントロールする側の論理であって、難民自身の視点に立つ全く違う視点になると思うんですね。テレビなどを見ていると、「トルコになんて行きたくない」という人たちがいることも事実だし、いわんや「本国に送還されるなんてとんでもない」と思っている人たちもいることは事実なんでね。ただ僕が思うのは日本が、自分たちは何の痛みも伴わずに、高みの見物として「ドイツは難民を受け入れたから、ほら見たことか」と言うのはあまりにもシニシズムというかね、ひどいなと思いますよ。人の気持ちとか温かさというものがあるのであれば、そんなことは言っていられない。日本としてできることはないんだろうかと、そういう発想になるのが世界市民としての生き方だろうと思います。それを突き放して「だからドイツはああだ」とか、「だからメルケルはなんとかだ」とか言うのは、あまりにもそういうことに対する歴史や背景を無視していて、ヨーロッパの人たちに対しても、ドイツの人たちに対しても失礼な話だと思います。
ですから基本はヨーロッパは大変なことになっているので、他の国でも苦しみはできるだけシェアしようという方向に行かなければいけないんじゃないかという気がします。アメリカのオバマ大統領が実際に難民を受け入れようとしましたが、アメリカの世論の反発が強く、共和党の議員もこれをもの凄く批判して、トランプ氏のような人が出てきて「難民受け入れなんてとんでもない」といった話になってしまったので、立ち消えになりましたね? 日本では最初から難民受け入れの話は消極的です。でも、考えたらおかしな話ですよね。日本は、そもそも受け入れ数の桁が何桁もちがうじゃないですか。

受講生B:ドイツのケルンの事件によって、世論が難民の受け入れ反対に動いたのは、難民が犯罪を犯すという意識というがあるからですか?

島村:はい、最初にある程度の偏見があって、それが強まったということでしょう。少しでも理性的な人は「あれはシリアの難民じゃないでしょう、出身国は北アフリカ系です。戦争から逃れてきた人じゃなくて、どちらかというと犯罪者集団に近いような人たちで、シリア難民とは別じゃないですか」という理性的な判断ができて、だから「難民全般をどうにかする」というのはおかしいよという話になるんだけれども、そうじゃない人は「難民なんていや」という話になってしまうんですね。

受講生A:難民を強制的に送られたトルコの港町のインタビューを今朝、テレビで見たんですが、「これから怖くて町を歩けなくなるじゃない」と言っていました。もし、日本にやってきてもそう考える人がいっぱいいると思うんです。自分も全く思わないかといったら、思うかもしれないけど。難しいですよね。

受講生C:自分たちのところに来るのはいやだから、他の国に行ってというのは、原発事故の時もそうでしたけど、自分たちさえ平和ならばいいっていうのは、おかしいと思います。世界市民という考えでいえば、メリットが無いから受け入れないという考えは変だなって思うんです。ヨーロッパが混乱すれば日本だって困るんだろうし、だから単純に日本は受け入れないという人は安易というか短絡的だなと思います。

受講生A:朝のそのニュースを見て、国連などが難民受け入れの割り当て数を決めちゃえばいいのにと思ったんです。日本に割り当てられた人は「あんな遠くはいやだ」と思うかもしれないけど、戦争状態にない国は受け入れると、決めてしまうわけにはいかないんでしょうか。

島村:日本が受け入れるといえば来る人は多いと思いますよ。治安も悪くないし、経済的にも豊かだし、たまたま遠いとか、そもそも眼中にないだけであって。さっきの「自分のところだけは嫌だ」という話で言うと、「NIMBY(ニンビー)」という言葉を知りませんか? 「Not in my back yard.」の略です。直訳すると「私の裏庭ではイヤ」という意味です。「イヤなことは他のところでやって」というのは、まさに社会学的な問題で、ごみ処理場が必要なのはわかっているけれど、自分のところだけは作ってほしくないというような、日本国内でもよくある問題ですね。

受講生C:まさに原発もそうですよね。

島村:はい。その他、軍事基地など、色々なものがそうでしょう。ちょっと難しい言い方をすると「受益圏」「受苦圏」という言葉があります。

受講生C:それは社会学用語ですか?

島村:そうです。たとえば、福島第一原発の問題が起きる前によく言われたのが福島の人たちも思ってるかもしれませんが「福島原発で作った電気はどこで使われていたの? 受益圏は東京圏なのに、受苦圏は私たち(福島県民)じゃない」という話です。そういう議論になると必ず出る暴論が「福島の人たちだってお金をもらったじゃないか」というものです。あとは、沖縄の基地問題もそうですね。沖縄の人たちは「自分たちだけなぜ受苦圏にならなきゃいけないのか、本土は受益圏じゃないか」と思いますよね。

受講生B:その問題でも必ず「それだけの恩恵を受けているじゃないか」と言い出す人がいますよね?

島村:はい、そうですね。さっきの、国連で難民受入数の分担を決めてしまえばいい、というのはいいアイデアだと思いますが、EUの間での分担でもあれだけもめて実際に受け入れていない国もあります。ポーランドなど東ヨーロッパ諸国の新興でEUに入った国々は、まだ経済力もついていないことも背景にあるかもしれませんが、EUから受けられる恩恵は受けたいけれど、義務のほうはなかなか果たそうとしないという側面があります。そういうこともあって、結果的には難民受け入れ問題を引っ張っていってるのはドイツですよね。フランスがそれにどうにかついて行っているくらいです。イギリスは「まけてもらおう」と思っているのである種脱退をちらつかせているわけでしょ。
だから、僕はドイツがしていることはすごいと思いますよ。意地悪な見方をすれば、「いや、ドイツはEUの統合によって、経済的に一番儲かっている」という言い方はできると思うけれど、それでも難民の受け入れに関してはすごいです。小学校も開放したり、一般市民があれだけ協力するというのは日本では考えられませんね。それはやっぱり困った人を助けようという隣人愛の精神が根本からないとできませんね。

受講生B:基本的に難民というのは、職業を与えられて、将来的にその国で生きていくことが前提ですよね。日本に難民が割り当てられたとすると、私たちの一般社会の中に難民が入ってくるんですよね。小学校や、お店などに、言葉もわからず、文化も違う人が入ってくるのは…と正直不安に思ってしまいます。

島村:確かに最初はそうかもしれません。だからドイツは受け入れるからにはドイツ語の教育をしているわけです。

受講生B:そうすると、どこの国に行くかによって、どの言葉を覚えるかとかも違うわけですよね。ヨーロッパならまだなんとなく文化的にも近い気がしますが、日本の場合は受け入れる側としてさらに拒否感というか、抵抗感が出てきてしまうような気もします。

受講生A:ただ、日本人と違ってヨーロッパの人が拒否したくなる気持ちは宗教的な心理が大きいと思うんです「絶対にイスラム教徒なんて受け入れたくない」と思うはずですよね。でも日本はあまりそこまでじゃないと思うんです。それに、日本の場合、特に東京ではいろんな料理が食べられるし、いろんな人がいるわけで、異文化や異人種を受け入れる土壌があるんじゃないかなと。

受講生B:確かに日本でも都市部なら違和感なく受け入れられる可能性はあるかもしれませんね。

島村:よそ者を排除するときの排除の仕方として、ヨーロッパ独特の原理主義的なものは日本ではないような気がしますね。だからある種雑食性のような、折衷性のようなところがあって「いいんじゃない」となりやすいので、隣人愛ではないではないけれど、捨てたもんじゃないということはあるかもしれませんね。

受講生C:難民を受け入れることに日本はメリットがないと言うなら、メリットを作り出せばいいんですよね。少子高齢化で人口も減るわけですから。

島村:難民と移民は違うけれども、そういう意味で言うと、難民政策は、移民政策の一環となりますね。日本にとって難民の問題とは別に移民政策をどうとらえるかは重要な問題ですね。少子高齢化の影響もありますしね。とにかくこのままいけば息詰まることは目に見えていますから。政治家の考えているタイムスパンは短くて次の選挙をどうするかということがまず頭にありますから、十年後の日本、二十年後の日本、三十年後の日本を考えている政治家がどれだけいるんだろうかと思います。昔は政治家にも結構いたんですが、官僚がいろんな意味で優秀でしたから、二十年後のビジョン、三十年後のビジョンということでやってきたのですが、近年ではそういうところではどうなんだろうという気がしますね。

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